大学の頃から哲学・思想などには情報の一つとして興味があった。高校の倫理・世界史あたりが一番好きだったことにも通じているのかもしれない。ヘーゲルのナポレオンの世界精神の話とかそういった事実と思想上の話の交差というのはそういうところから興味関心が強く、大学に入ったからには本を沢山読もうと思って、安いブックオフなどを探して回ったり、暇と退屈の倫理学みたいな今の時代感をうまく言語化しているものに感動を覚えたのはいまだに強く印象に残っている。
ちょうど2010年から2014年が大学生時代だった頃にiPhoneへのシフトが起きたことは自分の人生に大きく影響しているように思う。皆がガラケーからiPhoneになり、Instagram/TwitterなどSNSが勃興し始め、様々なアプリがTechcrunchなどで毎週取り上げられていくような、Software is eating the worldというa16zのMarcAndreessenが語るものを信じて、自分もスタートアップ/ベンチャーというものに興味を持った。今メタに思えばその時に時代を変えうる存在になるカウンター的なものだったから興味を惹かれたのかもしれない。高校の時にインディーロックバンドが好きだったみたいなものに近い。
その結果ゆるくだがスタートアップやベンチャーでインターンをしたりバイトをしたりすることを始めた。ANRIなどのVCはその頃から知っており、自分の中での知的好奇心というものと、ミーハー心/テクノロジー・スタートアップがその中心となることを感じていた。その延長で就職活動だが、VCというのも考えたがその当時はジャフコぐらいしか募集しているところがなく、それほど盛り上がってなかったこともあり受けずに、どちらかというと好奇心ドリブンで、いろいろな企業を受けた。その中で複数コンサルなどから内定をもらったがGoogleという正直ネームバリューと、一番世界で成功していると見えたスタートアップに入社したいと思えて入った。
一番初めにGoogleに入ったことは良かったが**、人間とは何かということを考えさせられた経験だった。AIがまだできないことを代わりにやりデータを取得するための一つの道具、部品のような感覚が強く、最高の環境ではあったものの自分の中で何か違和感が残った**。仕事とは?生きるとは?みたいなことを考え、それを引きずり逃げるように退社し、毎日本屋に行く生活になり、鬱に近い状況だったと思う。
そこからいろんな人に助けられ、特に生きるのも死ぬのもイヤなきみへや、問い続ける力とかの文章から人生は因縁であるみたいな考え方にだいぶ影響を受け、元々バイトしていたLUXAに転職し、そこで異様に大変だったが、KDDI社とのPMI事業を苦労しながらやった。
その中である程度それが落ち着いたタイミングで、DCMからビズリーチ経由でスカウトがあり、VCキャリアには元々興味があったし、転職。しかし自分が全くワークすることができずに逃げるように退職。しばらくニート期間、無職期間を過ごしていたが、その後ANRIに、**1社も投資せずに辞めるのも勿体無いのでは?**ということもあり、またDCMとスタイルが真逆なことをやってみたいと考えて就職。
最初はわからないながらモノマネをしながらやっていたが、元々の興味関心的にもSaaSのような領域が競合も多かったこともあり、Consumer Facingなサービスに興味を持ったし、投資としても多くなってきた。そうしていくとより社会の変化とかいかに社会を捉えるかということは思想的だし、自分の考えることも抽象的なものが増えていった。
周りを見てもそういった俯瞰的に物事を見て文章を書いたりしているベンチャーキャピタリストというは少ない気もしており、なんとなく自分として編集とかそういった概念に興味を持ち始めた。いかに物語/ナラティブを作れるかというのが、VC業としても重要なのではないか。いかに資本市場にも集まるナラティブを纏えるか?みたいなのは投資をする上でも重要な考え方なのではないかということをより思うようになってきた。
そうした中で、本としても柄谷行人であったりマルクスなどが、Web3とのつながりを感じることも出てきたり、実学としてのビジネスというところと、思想という結びつきを考えることが多くなっていった。
VCという仕事を続けるにしても、ただただお金を儲かりそうなところに流すということも重要だが、より社会との接点やその起業がどういう意味合いを世界に対してもつことができるのかということを説明できた方が楽しい、自分が存在する理由という感覚を得てきた。一方で、Speculativeなものが日本にはたりてないなと思うものの、よりこういうの面白くない?という未来を先取りしすぎたようなサービスは投資としても上手くいかないことも多くなってきた。